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緋色狂詩曲

 春の風はまだ冷たさを残しているが、日差しの下はぽかぽかと暖かい。のんびりと散歩でもしたくなる陽気だ。

 木製の柵と柵の間にある、舗装されていない土がむき出しのままの道を、一人の女が歩いている。

 ほどよく日に焼けた健康そうな肌。肩にかかる鮮やかな赤毛が風になびく。利発そうな双眸は若草色だ。可愛らしいというよりも、綺麗といったほうがふさわしい。飾り気のないワンピースに、肩にはショールをかけている。手に提げたバスケットはずっしりと重たそうだ。

 道を挟む柵の向こう側には広々と牧草地が広がり、のんびりと牛が草を食んでいる。彼女が通ってきた道の後ろには、蒼々とした森がどっしりとかまえていた。彼女はそこからやって来たのだ。

 町に近づくと、カトレアは肩にかけていたショールをはずし、顔を隠すように巻きなおした。

 

 

 彼女がたどり着いたのは、それほど大きくない町だ。ところどころ古びてひび割れているものの、それなりに整備された石畳の道。中央にある広場には露店が並んでいる。さまざまな色と匂いに溢れているここは、この町の市場であった。気まぐれにやってくる旅商人なども居り、様々な格好をした者達が思い思いに店を開いていた。ここでは顔を隠したカトレアも、そう目立ちはしない。

 カトレアはいつものようにひんやりとした石畳の上に布を敷くと、更に藁で編んだ敷物を置いてその上に座った。この時期はまだ直接座ると冷えるのだ。

 バスケットから品物を出そうと手を伸ばすと、早速声がかかった。

「あぁ、来てくれてよかったわ。子どもが風邪を引いてね」

「あら大変。どんな様子?」

 一人目の話を聞いているうちに、また一人、一人と増えていく。

「なんだかこの時期は鼻がむずむずしてねぇ。目も痒くって困ってるんだよ」

「だったら、これをお茶に入れて飲んでみて。少しはましになると思うわ」

「のどが痛いんだが。何とかならないかい?」

「確かに声がかれているわね。これなんてどうかしら。苦いけれど、よく効くわよ」

「最近花売りのレティを見てると胸が苦しくなるんだ。俺は何かの病気なんだろうか」

「あら、それは私じゃ治してあげられないわ。そうね、まずは花を買いに行くといいわ」

「おはよう魔女さん。いつもの痛み止めはあるかね」

「おはよう、おばあ様。もちろんあるわよ」

 医者にかかるにはとてもお金がかかるので、それほど大きな病でないかぎり彼女の作る薬に頼る者は多い。何より、カトレアの薬はきちんと効果をもたらすので、町の人達に信用されていた。初めの頃こそ好奇心とカトレアの美しさにちょっかいをかけに来る者がほとんどであったが、今ではそんな者もほとんどいなくなった。

 助言にしたがい顔を隠すようになり、彼女の薬の効きが噂で広がるうちに、いつの間にか親しみを込めて魔女と呼ばれるようになっていた。今では常連客も多く、わざわざ町の外から薬を求めてやってくる者もいる。

「そうそう魔女さん。よかったらこれを子ども達に」

 言って、老婆は両手で包み込むには少し大きい瓶を手渡した。透明な硝子瓶の中で、色とりどりの飴が輝いている。これは、彼女が店に置いているもので、少しひび割れてしまい、売り物にならなくなったものである。

「いつもありがとう、おばあ様。子ども達も喜ぶわ」

 カトレアの家には身寄りのない四人の子どもが住んでいる。そのことを知っている町の人達は、彼女に色々なものを差し入れてくれた。

 昼を過ぎたところでやっと客足が途切れ、カトレアはほっと息をついた。空を見上げると青空が広がっているが、森のあたりには厚い雲がかかっている。明日、早ければ今日の夜にでも雨が降り始めることだろう。

 市場には噂話も集まる。カトレアは何の気なしに行き交う人々の声に耳を傾けた。どこぞの主人が浮気をしただの、マリーに子どもが生まれただの。雑多な他愛もない情報を聞き流していると、気になる会話が耳に入ってきた。

「そうそう知ってる? 魔法使いが逃げ出したらしいわね」

「私も聞いたわ」

 魔法使い、ね。

 カトレアは思案するように口元に手を当てた。

 この世界には、人間以外に魔法使いと呼ばれる存在がいる。いつから存在しているのかわからない。どこか違う世界から現れたのだとも言われている。彼らは対価を払うことにより魔法を使い、常識では考えられない奇跡を起こすことが出来た。巨大な石像に命を与え意のままに動かしたり、異世界の生き物を呼び出したりと、この世界の法則を歪めるほどの奇跡を操ったという話は、その真偽はともかくいたるところで聞くことが出来る。

 噂の内容を簡単にまとめると、この町からいくつか離れた都市に住む有力者に仕えていた魔法使いが逃げ出したという話だった。

 有力者達はこぞって魔法使いを雇いたがる。魔法使いの力の強さが主の権力の強さと言っても過言ではない。己の従える魔法使いの力を見せつけるための催しを定期的に行っている権力者もいる。

 これまでにも魔法使いが逃げ出したという話を聞かないわけではないが、珍しいことであるのは確かだ。有力者の下に仕えていれば、地位も名誉も保障される。その地位を望むものは多くとも、逃げ出したいと思う者は少ないだろう。しかし、どの魔法使いも忠実に主に仕えているわけではないというのも確かだ。

 ただ、都市へ行けば重宝される魔法使いも、このあたりの田舎町では人間たちの中に混ざり暮らしている。

 そのことを知ったところで、彼女には何の関係もない。ただ、しばらく町の中が騒がしくなりそうだ、とだけ思った。

 

 

 明るいうちに荷物をまとめ、カトレアは町を後にした。それなりに売れたのでバスケットは行きより軽いが、代わりに買ったものや貰いものの入った布袋が重い。

 店をたたむ前から妙な胸騒ぎがしていた。森の方に広がる雨雲のせいだろうと思っていたが、どうにも違いそうだ。家に近づくにつれ、焦燥が強くなっていく。

 森の木々がはっきり見えた頃には日が傾きかけていた。

 森への入り口には、カトレアの家に住む子ども達が集まっている。四人全員がそろっているだなんて、何かあったのだろうか。

 真っ先にカトレアの姿に気が付いた、くせのない黒髪をした少女が彼女を呼んだ。

「カトレアお姉ちゃん」

 カトレアは駆け出した。荷物の重さも気にならない。瓶の中でからからと飴玉が音を立てる。

 子ども達が囲む中、男が倒れていた。

 歳は二十代の半ばほどだろうか。癖のない薄茶色の肩につかない長さの髪が顔にかかっている。目を閉じているので色まではわからない。

 眠っているのだろうか。それとも、死んでいるのだろうか。

 血に汚れてはいるが、上等そうな服を着ている。それなりに身分のある者だろう。それが、どうしてこんなところに倒れているのだろうか。

 カトレアはふと、魔法使いが逃げ出したという話を思い出した。まさかと思いながら、男の傍にしゃがみこむ。肩に触れると、男はかすかにうめき声を上げて体をよじった。体も温かい。どうやら生きているようだ。

「お願い、助けてあげて、カトレアお姉ちゃん!」

 子ども達の今にも泣き出しそうな眼差しに、カトレアは頷いた。

ぽつり、と地面に水滴が落ちる。いくつもいくつも降り注ぎ、やがて視界をけぶらすほどの大雨になった。

 

+   +   +

 

 男が目を覚ましたのは、翌日の夕方だった。一日降り続いた雨はいつのまにか止み、空は橙から赤、紫を経て黒に変わろうとしている。

 彼が目を覚ました時にまず鼻をついたのは、よくわからないにおいだった。青臭いような、甘いような、焦げたような、酸っぱいような、様々なにおいが混ざっている。それも新しいにおいではなく、この部屋に染み付いたにおいだ。

 部屋の天井には縄が張り巡らされ、乾燥した植物が吊るされている。木製の壁には天井まで棚がぴたりとはめられており、液体やら粉の入った瓶と壷が並んでいた。作業台と思わしい大きく丈夫そうな木製の机の上には、アルコールランプや、静かに湯気を立ち上らせる壷などが置かれている。先ほどまで誰かそこにいたのだろうか。

 ぼんやりと周囲を確認していると、扉が開き、女が入ってきた。

 くせのある鮮やかな赤毛に、若草色の双眸の綺麗な女だ。この家の主なのだろうと、男は何となく思った。

「……俺は、生きているのか」

「そうみたいね」

 ふと、男の内にこみ上げてくるものがあった。

「……何で俺を助けた」

 体がひどくだるい。それよりも心が重たくて。目を閉じればそのまま深く沈んでいくような気がした。

「何で死なせてくれなかった」

 乾いた音と共に男の視界が揺れた。

「何で助けた? 何で死なせてくれなかった?」

 ひりひりと、頬が痛む。唇が切れ、生臭いにおいが口の中に広がった。男は殴られたのだと気付くのに数瞬を要した。

「あの子達の前で、絶対にそんなこと言わないでよ!」

 あの子達とは誰だろう、と男はぼんやりした頭で思う。ただ彼女の怒りにふるえる唇が、強い色を帯びた眼差しが今にも泣き出しそうに見えて、謝らなければと思った。

「……悪かった」

「わかればいいのよ」

 カトレアは静かに男を見下ろした。

「……あんた、魔法使いね」

 その言葉に、男はぐっと唇を引き結んで視線を落とした。彼の鮮やかな青の双眸の中央。横向きに楕円を描く瞳孔。それが魔法使いの、人間によく似た、違うモノである証。

「近くの町で、貴族の屋敷から魔法使いが逃げ出したって噂が広がってるわ」

「……そう、か」

 それ以上、何も言わなかった。黙ったままじっとうつむいている。

 男から目をそらすと、頬にかかる髪を耳にかけながら、カトレアは窓の外に視線を向けた。

「死にたいなら、出て行けばいいわ。あの子達には、気付いたら居なくなってたって言っておいてあげる。でも、少しでも生きる気があるのなら、そこで寝てなさい」

 命令するような口調。男は思わず顔を上げた。

「私は生きたくない人に生きろと言うほど酷ではないわ」

 そう言った彼女はとても強くて、どこか泣き出しそうにも見えた。

 どたどたと扉の外を誰かが走る音が聞こえた。男はびくり、と肩を震わせる。カトレアは腰に手を当てると、緊張した様子の男の方を見て軽く肩をすくめた。

「わわっ!」

「きゃっ!」

 カトレアが大きく扉を開けると、二人の子どもが転がるように部屋に入ってきた。男が驚きに目を見開く。二人は男が起き上がっていることに気が付くと、カトレアの横をすり抜けて寝台に駆け寄った。

「お兄ちゃん目を覚ましたんだね」

「もうだいじょうぶなの?」

 黒い髪の女の子と、こげ茶色の髪の男の子が寝台の端に寄りかかり、男の顔を見上げる。どうしていいかわからず、二人の子どもを交互に見た。

「残念ね、ウル、シラン。そのお兄さん、声が出せないみたいなの」

 喋らない男に見切りをつけたカトレアが、子ども達に答える。

「えー、かわいそう」

「ほら、お兄さんはまだ元気じゃないから。大人しく下で遊んでなさい」

「えー」

 不満げな声をあげるウルと、声には出さなくてもちらちらと男を気にしているシランの背を押し、扉の方に追いやる。扉を閉めると、カトレアは男の方に向き直った。

「残念だったわね。もう怪我が治るまで出ていけないわよ」

 まだ呆然とした様子の魔法使いを見て、いたずらっぽく笑った。

「……お前の子どもか?」

「違うわよ。私が子持ちに見えるの?」

「いや……見えないから訊いたんだ」

 カトレアは二十前後にしか見えない。ウルと呼ばれた女の子は八歳くらい、シランと呼ばれた男の子は六歳くらいに見えた。

「あの子達……ウルとシランの他にもローって男の子とリアって女の子がいるわよ」

「多いな……」

「あら、にぎやかで毎日楽しいわよ」

 幸せそうに笑う。

「そうそう。名前、教えてくれない? ナナシさんって嫌じゃない」

「……バーベインだ」

「バーベインさんね。私はカトレアよ」

 それから思い出したように、カトレアは手にしていた壷を開けた。つんとしみるようなにおいが広がる。男は何事だろうと身構える。

「薬よ。毒じゃないから安心して」

「……お前は」

「カトレア」

「……カトレアは、何者なんだ?」

「私は魔女よ」

 微笑むと、バーベインの傷口に緑色のどろどろとした液体をぬりつける。青臭さが部屋いっぱいに広がった。

 

 

 バーベインの負った怪我自体は命に関わるものではなく、すぐに動けるようになった。だが、心がいまだうまく動かず、何もしないまま二日が過ぎた。

 手のひらに懐中時計を乗せ、ただ眺める。かちり、かちりという規則正しい音で頭の中が満たされた。時折聞こえてくる子ども達とカトレアの声が、彼を現実に引き戻す。

 この部屋は二階にあり、隣には子ども達の部屋が二つある。一階は調理場と一続きの広い部屋、風呂場があり、家の横には畑が広がっていた。そこでは薬にするための薬草や野菜が育てられている。

 バーベインがうたた寝から目を覚ますと、甘い新鮮なにおいがした。見下ろすと、掛布の上に、花と花びらが散っている。どうやらにおいの元はこの花達のようだった。

 ふと顔を横に向けると、くりくりとした双眸と目が合った。癖のない黒髪が背の半ばまで流れていえる。ウルと呼ばれていた女の子だ。

「……何だ」

「しゃべった!」

 ウルはそう叫ぶと、慌てたように自分の口を押さえた。きょろきょろとあたりを見渡す。それから安心したように息をついた。

 そういえば、子ども達に対してはしゃべれないのだということにしていたのだということを思い出す。

 ウルは何の遠慮もなしに、真っ直ぐに見つめてくる。

 バーベインの中でふつふつと不快感が沸き上がった。

 大抵の者達は彼から目をそらした。バーベインを見つめる者は、彼の魔法使いとしての力を望む者だけだ。

 ただ、目をそらせばいいのに、それだけのことが出来なくて。

 見るな。

「お兄ちゃんの目、きれい……」

 バーベインは口に出しかけた言葉を飲み込んだ。真っ直ぐな悪意のない言葉に、すとん、と毒気が抜けたようだった。

 腕を動かした拍子に、掛布の上から花びらが落ちる。

「……この花は、お前が?」

「うん。わたしとシランで交代でこっそりもってきたの。おみまいにはお花でしょう?」

 頭の上に手をやると、花の冠がずり落ちてきた。これだけ散らしておいてこっそりもないだろう。カトレアは気付いていながら見逃しているのだ。

「そのかんむりはね、シランが作ったんだよ。じょうずでしょ!」

 シランはウルの少し後ろにくっついて回っていた、少し気の弱そうな男の子だ。

「つむのはリアも手伝ってくれたんだよ。でもローはだめだっていじわる言うの。それでね」

 扉を叩く音がした。この家でわざわざ扉を叩くのは一人しかいない。

「あ、お姉ちゃん……」

「ウル、勝手に入っちゃだめって言ったでしょ」

「ごめんなさい……」

 腰に手を当てたカトレアに、ウルはしょんぼりと顔を俯けた。その姿にバーベインまで悪いことをした気分になる。

「いいんだ、カトレア。俺が、いいと言ったんだ」

「あら、そうなの?」

 面白がるように言い、わざとらしく目を見張った。下手すぎる嘘にバーベインは目をそらす。カトレアはウルの前にしゃがみこんで視線を合わせると、柔らかく笑んだ。

「でもあんまり長居はだめよ、ウル。それに、そろそろ夕食だから下に降りてね」

「はぁい」

 元気に返事をすると、ウルはとてとてと扉の向こう側に駆けていった。扉を通り越したところで立ち止まり、頭だけをのぞかせる。

「またね、きれいな目のお兄ちゃん」

 何か言わなくてはと思った時、散らばった花びらが視界に入った。

「花! ……ありがとう」

「うん!」

 扉が閉まると、そちらを向いていたカトレアはバーベインに向き直った。

「おしゃべり出来るようになったのね」

 からかうようなカトレアの言葉に何も返すことが出来ず、バーベインは黙った。彼女の力強い眼差しに、何もかも見抜かれている気分になる。

「そうそう、今日は子ども達と一緒に下で食べない? 一人で食べるよりも、みんなで食べた方がおいしいわよ」

 それに、わざわざ持って上がってくるの面倒なのよね、と笑ったカトレアに、バーベインは逆らえなかった。

 

 

 一階に下りると、バーベインに気付いたウルが満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。

「今日はお兄ちゃんもいっしょなの!?」

「そうよ。バーベインさんを席に案内してあげて」

 カトレアの声にウルはバーベインの腕をつかむと、そのまま引っ張っていく。机にたどり着く前に、つんつんと短い藁色の髪の少年が立ちふさがった。

「いいか、おれはお前のこと認めてないんだからなっ!」

 十歳前後だろう。精一杯胸を張っているが、身長はバーベインの胸ほどまでしかない。

「ローはお姉ちゃんのことが大好きだから、やきもちやいてるんだよ」

「ウル! 余計なこと言うな!」

 くすくすと笑うウルに、ローが顔を真っ赤にした。

「姉ちゃんはブヨージンだからな。おれはそもそもこんな得体の知れないやつを家にいれるなんて反対だったんだ!」

「それは、すまなかったな」

「!」

 バーベインがしゃべったことに驚いたローは口を開閉させた。続く言葉が思い浮かばないようだ。そうこうしているとローの足にどん、と衝撃があった。見下ろすと、一番年下のリアがしがみついている。長い前髪に隠れ気味の双眸が無言で訴える。

「な、何だよリア」

「おなかがすいたのよね」

 カトレアの声に、リアは小さく頷いた。動きに合わせて長い金色の髪が揺れる。

「ほらほらみんな、さっさと席に着く。冷めるでしょ」

 ウル、バーベイン、シラン、机をはさんでカトレア、リア、ローの順で座った。

 食事の間ローはバーベインを睨んでいたが、彼は気にしていないようだった。それよりも、隣に座ったウルがバーベインの方ばかり見て食べ物をこぼすので、そちらの方に気を取られている。その様子を眺めながらカトレアは笑んだ。食べ終わって満足したらしいリアの口元を拭いてやる。

 食事が終わると、バーベインはウルの遊び相手として彼女に様々な要求を突きつけられた。要領はよくないが、子ども達に色々と言われつつも何とか合わせようとしている。そのうちにリアとシランも混ざりにいった。ローは相変わらず敵でも見るかのようにバーベインを監視している。

 子ども達をバーベインに任せても大丈夫だと判断したカトレアは、薬作りをするために二階の部屋に戻った。いくつかなくなりかけている薬があったので丁度いい機会だ。

 その日ははしゃいだせいか、子ども達は大人しく眠りについてくれた。いつもはお話をせがんでなかなか眠らないウルが一番に眠りについてしまったほどだ。一度シランが咳き込んで発作を起こしたが、それ以外はとても平和だった。

 一階でカトレアがお茶を入れる。いい香りが広がった。明かりはランプ一つだけでほの暗いが、二人で過ごすには十分だ。

「今日はお疲れ様。助かったわ」

「毎日ああなのか?」

「今日はいつもよりにぎやかだったけれど。そうね、大体あんな感じよ」

 カトレアの言葉に、ため息と共にバーベインは椅子に身体を深く沈めた。

 シランが咳き込みだした時、バーベインはどうしていいかわからなかった。すぐに反応したのはローだった。ウルにカトレアを呼びに行くように言い、自分はシランに駆け寄った。声をかけながら背をさする。そうしているとウルに呼ばれたカトレアが階段を下りてきた。手にした薬湯らしきものをゆっくりとシランに飲ませる。しばらくするとシランは落ち着いた呼吸をはじめた。

 手馴れた動作。このような事態には慣れているのだろう。落ち着くと、カトレアは透明な瓶に入った飴を子ども達に配った。つんとしていたローも、隠そうとはしていたが嬉しそうだった。

 数時間だけでも大変だったというのに、こんな日々を毎日送っているのか。そう思うと、自然に言葉が口をついて出た。

「……何か、願いはないのか」

「それはどういう意味?」

 冷ややかに、カトレアはバーベインを見つめた。思いもよらない反応に、バーベインはまばたく。

 力強い眼差し。

「あなたに頼みたい願いなんてないわ。願いは、自分の手で叶えるもの」

 ただ真っ直ぐに彼女は言い放った。

 ずっと、願いを叶えることだけを求められていた。願いを叶えることで、彼は存在を許されていた。どんな願いだろうと、退けることは許されなかった。それが。

 何か出来るかもしれないと思った。ただ、その手段は間違っていたようだ。

「……変な女だ」

 少しだけ泣き出しそうに、バーベインは笑った。

「どうして、逃げたのかと聞いたな」

 目を覚ました日には答えなかった問い。

「願いを叶えるために、何を代償にしていたと思う?」

 どこまでも深く、暗い色が宿る。底知れぬ淵を覗き込んだかのような。

「人間、だよ」

 ざわり、とカトレアの胸の内が騒いだ。少しだけ髪が広がり、ちりり、と何かのこげるようなにおいがわずかに漂う。ランプの火が一瞬大きく燃え上がった。

「くだらない願いを叶えるために、人間の命を代償にしてたんだ」

 バーベインは望んで貴族についたのではない。十歳の頃に、貴族に捕らえられた。それまではあの町ように、人間達の中に混じって両親とひっそりと暮らしていた。

 望まれるままに願いを叶える日々。自分の像を造れだの、誰も見たことのない宝石を出せだの、くだらない願いばかり。ただ言うことを聞いてさえいれば、生活には困らない。

 願いを叶え続けるうちに、段々と心が麻痺していった。褒美として与えられる何にも心を動かされない。次第に彼は町の中をさまようようになった。主もバーベインが戻ってくる限り、彼が何をしようと気に留めなかった。

 魔法使いのことを知っている人々は、彼を恐れ、遠巻きにする。たくさんの人の中で、彼は一人きりだった。

 歩く気力も失せて、道の端に座り込む。彼に逃げ出そうという気はなかった。逃げ出そうとする気力など、とうの昔に失っていた。

「どうしたの?」

 声をかけてきたのは、八歳ほどの女の子だった。恐れることなく、彼女はバーベインの傍に座った。

「一人なの?」

 女の子はバーベインに色々なことを話した。嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと。彼女の話が聞きたくて、バーベインは再びふらりとその場所を訪れた。そうすると、女の子は必ず来てくれた。あまり裕福とは言えなさそうだったが、それでも毎日幸せそうだった。

 ある日、ぱたりと彼女は来なくなった。探そうかと思ったが、その場所でしか会ったことのないバーベインには探し方などわからなかった。

 打ちひしがれた気分で屋敷に戻ると主が待っていた。

「さぁ、私の願いを叶えろ」

 用意されていた代償に、バーベインは目を見開いた。そこにいたのは、あの女の子だ。食うに困り、彼女の家族は彼女を売り払ったのだった。

 バーベインを見た彼女は、いつものように優しく笑う。

「わたしの命が必要なんでしょう?」

 嫌だと思った。諦めたような表情が。彼女はこの理不尽を受け入れようとしている。

 こんな下らないことのために。

 それでも結局逆らうことが出来ず、バーベインは魔法を使ってしまった。そこから、少しずつおかしくなっていった。そしてある日、ついに主の屋敷を逃げ出した。

 追われ続け、一度は追い詰められた。もう戻りたくなくて、死んでしまえばいいと思った。でも、死ぬことも出来なくて。

 必死にどこかへ行きたいと願い、魔法を使った。そして気が付くと寝台の上にいて、カトレアがいた。

 そういえば、あの女の子はどこかウルに似ていたような気もする。

「くだらない、昔話だ」

 それほど昔でもないけどな、とバーベインは自嘲気味に笑った。

 

 

 ローは朝早くに家を出る。近くの農場の手伝いをして、多くはないが家にお金を入れていた。ウルもカトレアが忙しい時や町に行っている時には年下の二人の面倒をよく見ている。

 椅子に座るバーベインの足をリアがよじ登った。動けずにいるバーベインの膝の上で、満足そうに落ち着く。

「な、何だ……?」

「髪を結んで欲しいのよ」

 ウルの髪をといていたカトレアの言葉にリアはこくりと頷く。

 バーベインはリアの要求に従い、何とか頭の上のほうで二つ結びにしたのだが、左右の高さが違うわ分量が違うわで、あまりにも不恰好な出来になった。しかしリア本人は気に入ったようで、カトレアが笑いをこらえながら差し出した鏡を覗き込むと、彼女は無表情のまま満足そうに頷いた。

 カトレアは留守を任せ、久々に町に出た。

 町の中の空気がぴりぴりしている。露店の数もいつもより少ない。

 何かおかしなことが起こっている?

なかなか知った顔を見つけることが出来ず、やっとのことでよく飴を差し入れてくれる老婆を見つけた。

「あぁ、久しぶりだね」

「町で何か起きているの、おばあ様」

 老婆はあたりを気にするようにちらりと目をこらし、カトレアに視線を戻すと声をひそめた。

「魔法使い狩りだよ。まだこの町にはたどり着いていないけれどもね」

 魔法使いに逃げられた貴族は直々に捜索隊を組んだ。町の中で人々に混じりひっそりと暮らしている魔法使いまで、片っ端から引っ張り出されているという。よっぽど魔法にとりつかれているのだろう。この町にひっそりと住んでいる魔法使い達もそそくさと町を去っていったそうだ。

「あなたも気を付けなさいね」

 いつものように気軽に魔女さんと呼ばなかったのは、もしかしたらすぐ近くにいるかもしれない魔法使い狩りに配慮をしてだろう。

 魔法使いと人間の間に生まれた子どもは、ほとんどの場合魔法を使うことは出来ない。しかし、希に特殊な体質を持って生まれてくることもある。その者達を人々は魔女と呼んだ。

「ありがとう、おばあ様」

 家に帰ると、カトレアはバーベインに包み隠さずに全てを話した。

「奴が探しているのは俺だ」

 バーベインはそう断言した。思い詰めたような、決心したような表情。

「一緒に来て」

 カトレアの静かな声に従い、バーベインは森の奥に入った。

 少し開けた場所があり、そこには十字に組まれた木の棒が五つ並んでいる。

「ここは……?」

「子ども達の墓よ」

 生きたいと言って死んでいったね。

 バーベインに背を向けて、そう付け足した。

 カトレアの元にくる子ども達は、身寄りがないだけではなく何かを抱えていることが多い。今の四人の前にも、何人も、看取ってきた。

「シランはまだ少し心配だけれど。ウルもしっかりしてきているし。ローは牧場主さんが養子に欲しいとしばらく前から言っているのだけれど、あの子はなかなか首を縦に振らないわ」

 カトレアの言いたいことをくみ取れず、バーベインは首を傾げる。

「――戻るつもりなんでしょう」

「色々と、すまなかった」

「だめよ」

 彼女が振り返った。力強い双眸がバーベインを見つめる。カトレアに見つめられるたびに、バーベインは何もかもを見透かされているような気分になった。

「戻ってはだめ。また不幸を生み出すつもり?」

 バーベインはカトレアの言葉に頷くしかなかった。

 

 

 バーベインが寝台を整えていると、後ろから声がかかった。

「何だよ、出て行くのかよ」

「ロー」

「気安く呼ぶな」

 ローは開け放していた扉を閉めると、腕を組んで真っ直ぐにバーベインを見つめてくる。その眼差しがカトレアに似ていたのでバーベインは少し笑んだ。

「おれは、あんまりお前のこと好きじゃないけど。ウル達が気に入ってたからな。姉ちゃんにもちょっかいかけてねぇみたいだし。まーあれだ。……また、来てもいいんだぜ」

 言ってから、照れくさそうに顔をそらした。

「ありがとう」

「っ! さっさと出てけよなっ」

バーベインは懐から懐中時計を取り出すと、ローの手に乗せた。

「何だよ、これ」

「俺が持ってる唯一の俺の物だ。カトレアは絶対に受け取らないだろうからな」

 ローにはその言葉の意味はわからなかったが、その重みはわかった。金属製のそれは、ずっしりと重たい。

「売れば、それなりの値になるはずだ」

「お前はどうすんだよ」

「俺ならどうにでもなる」

 ローは懐中時計を握りしめると、胸ポケットにしまいこんだ。

 

+   +   +

 

 日の落ちきる前に家を出たバーベインは、薄暗い森の中を歩いていた。後ろ髪を引かれるような気もしたが、捜索の手は徐々に伸びてきている。もしもあの家にいるところを見つかれば、余計に厄介なことに巻き込んでしまうことになるかもしれない。

 ざわり、と胸が騒いだ。はっと振り返る。

 日が落ちたのに、空が赤い。赤色はそれほど時間をかけずに消えてしまったが、見間違いだとは思えなかった。

 何かあったのだろうか。

 そう考えると居ても立っても居られなくなり、バーベインは身を翻すと元来た道を急いで引き返した。

 

+   +   +

 

 バーベインが出て行ったことを知ったウルとシラン、リアは大泣きした。ずいぶんと彼のことを気に入っていたようだ。三人は泣き疲れたようで、そのまま早々に寝てしまった。付き合ってローも二階にいる。

 カトレアは一人ランプの明かりをぼんやりと眺めた。よくしゃべるような男ではなかったが、居なくなってみるとずいぶん静かになったような気がする。

 乱暴に扉を叩く音がした。この家を訪ねてくる者はそう居ない。カトレアは努めて平静を装って扉を開いた。

「こんな夜分に何の用かしら」

「ここに魔法使いが匿われているという話を聞いた」

 戸口には一人の男が立っている。見たことのない顔だ。多分この男がバーベインの主であった貴族なのであろう。

男の上等そうな衣の首周りと袖、裾には細かな刺繍が施されており、不思議な光沢を見せている。何かの代償と引き換えに、魔法で手に入れたのだろうか。

「うちには子ども達しかいませんわ」

 にこやかに、だが強い意志を持ってカトレアは男を真っ直ぐに見据えた。だが、男のよどんだ目は彼女を見ない。カトレアを通した向こう側でも見えているかのようだ。

「――探せ」

 男の命令に、後ろについていた者達が家の中に押し入った。よく見ると彼らは人間ではなく、人間の形をした泥人形のようだった。これも魔法の産物だろう。カトレアが抗議の声を上げる暇もなかった。

 どたばたと、家の中を踏み荒らす足音。二階からは、がしゃんと瓶の砕ける音と子ども達の泣き声が響いてきた。男を睨み付けると、カトレアは家の中に駆け込んだ。階段を駆け上がる。

 手前の部屋では、まだ寝ていなかったローが、寝台の上で上半身を起こし眠そうに目をこすっているシアンをかばうようにして泥人形達と向かい合っていた。彼らは二人を気にする様子なく、部屋の中を荒らしていく。開け放たれた扉の前に立つカトレアに気が付いたローが叫んだ。

「姉ちゃん、何だよこいつら!」

「後よ! ローはシアンを連れて外に出て!」

 珍しく焦った表情を見せるカトレアに、ローは即座にシアンの腕をつかんで寝台から引っ張り出した。一つ奥の部屋では、ウルがリアを抱きしめて震えている。カトレアは部屋の入り口に立っていた泥人形を押しのけると部屋に駆け込み、リアごとウルを抱きしめた。

「お姉ちゃん……っ」

「大丈夫よ。外に出ましょう」

 何が大丈夫なのかカトレアにもわからなかったが、他に言葉が思い浮かばない。

 二人を連れて外に出て、ローと合流する。

「どうしたの、カトレアお姉ちゃん。何がおきてるの……?」

「大丈夫よ。ちょっと我慢しててね」

 不安げに見上げてくるウルとシランを抱きしめた。半ば事態を把握したローはそれほど動じていないようだった。

「家の中には子どもしかいませんでした」

 もごもごと、泥人形が報告する。男は不満そうに頷いた。泥人形の口が動くたびに土塊がぽろぽろと剥がれ落ちる。

「だから言ったじゃないの。こんな時間に来て、しかも人の家に勝手に入り込むだなんて失礼よ! 中の物も壊して、どうしてくれるの!?」

「逃がしたのか。まだ近くにいるはずだ。さっさと探しに行け!」

「待ちなさい!」

 男は耳を傾けない。

「うるさい奴らだ。燃やせ」

 男の命令に泥人形が何か液体の入った瓶を投げた。家にぶつかるとがしゃんと音を立てて瓶が砕け、中からこぼれた液体に火がつき燃え広がる。

「何するんだよ!」

「やめなさい!」

 家に向かい、カトレアは手のひらを向けた。ぶわりと彼女の髪が広がり、ちりり、と焦げたにおいがわずかに漂う。

向けた手のひらを握りこむと、飲み込まれるかのように炎が消えた。黒くこげた壁から煙があがる。握ったこぶしを泥人形達に向けて開くと、更に瓶を投げようとしていた二体が炎に包まれてぼろぼろと崩れ落ちた。男を睨み付けるカトレアの髪は数センチメートル短くなっている。

「本物の魔女だったか……!」

 男は大きく目を見開くと、面白い物でも見つけたかのように口元を歪めた。

「帰りなさい」

「――魔女の解明はまだ進んでいない。魔法使いよりも貴重な存在」

 うわごとのように男は呟く。

「殺さない程度に痛めつけろ」

 泥人形の一体が小銃を構えた。

「いい加減になさい!」

 この男が長くバーベインを苦しめていたのだ。そう思うと更に怒りがわきあがってくる。

「やめろ! 姉ちゃんに手を出すな!」

 ローがカトレアを庇うように飛び出した。引き金が引かれる。ウルが大きく悲鳴を上げた。

「ロー!」

 どさり、とローが倒れこんだ。ウルがわーわーと泣きだす。倒れ込んだローは動かない。

「ちっ、余計なことを」

カトレアは一瞬、自分が何をするべきなのかを見失ってしまった。早くローに駆け寄らなければ。子ども達を抱きしめてやらなければ。でも、頭の中が嫌な色に染まってしまって。

「何だ、これは……」

 横合いから聞こえた声に、カトレアははっと顔を上げた。彼の目を見つめ、それから静かに視線を下げた。

バーベインを見つけ、男はにたりと笑う。

「あぁ、こんなところにいたのか。さあ、帰るぞ」

 バーベインはゆっくりと全体を見渡した。黒く焼け焦げた家の外壁。左腕にウルを抱き寄せ、右手で体を丸めて咳き込むシランの背をそっとさすっている。ローがうつ伏せに地面に倒れており、すぐ近くにはリアが座りこんでいる。

「俺のせいか」

 ふんぞり返った元主。その後ろの泥人形達は、バーベインが魔法で作り出したものだ。誰も魔法使い捜しに協力してくれなかったのか、それとも人間よりも魔法に取り付かれてしまったのか。

「俺のせいだな」

 自嘲気味に呟くと、真っ直ぐに元主だった男を見据えた。

 ずんぐりとした体。短い手足。魔法など使わなくても簡単にどうにか出来てしまいそうな、矮小で、脆弱な、ただの人間。

「逃げるのは、もうやめよう」

 少しだけすっきりしたように、バーベインは笑った。

「リア。目を閉じて、耳を塞いで」

 ただ一人ローの傍に座りこんでいたリアは、カトレアに言われた通り目を閉じて小さな手で耳を押さえた。

「ねえ、バーベインさん。私の願いを叶えて」

「何……」

「もう、感情を背負ってしまったもの。あなた一人にやらせはしないわ。それじゃ、私が納まらない」

 その力強い双眸に宿る色は、バーベインと同じで。

「さあ、早く帰って俺の願いを叶えろ! この間にも他の奴らにどれだけの差をつけられていると思うんだ!」

「わかった」

 バーベインは元主の顔を右手でしっかりと掴んだ。じたばたと暴れるがもう遅い。

「ただし、今度の願いの代償はお前だ」

「おっ、おい。俺はお前の主だぞ! 泥人形共、こいつを何とかしろ!」

 叫ぶが、泥人形達は真っ赤な炎に包まれてぼろぼろと崩れ落ちた。かなり髪の短くなったカトレアが意地悪気に笑う。

「やっ、やめろ、やめてくれ!」

 強く抱きしめて、ウルとシランの目と耳を塞ぐ。バーベインとカトレアはその男の最後をしっかりと双眸に焼きつけた。

 

+   +   +

 

「こんにちは、おばあ様」

「あぁ、久しぶりの素顔だねぇ。五年前と変わらないじゃないの」

 髪は短くなったねぇ、と老婆は手を伸ばしてカトレアの髪に触れた。彼女は髪の毛と引き換えに、魔女としての力を使う。泥人形を退けるために随分使ってしまったので、今は肩にも届かない。

「もう、町へは来られなくなるの。だからこれ、最後になるわ」

 いつもの痛み止めの入った壷を老婆に手渡す。一番初めに常連客になって、彼女のことを広めてくれたのがこの老婆だった。そしてこの老婆はカトレアと同じである。

「そうかい、残念だよ」

 両手で包みこむように、老婆は壷を受け取った。

「子ども達はちゃんと町で面倒を見るからね。安心おし」

「ありがとう、おばあ様」

 老婆を抱きしめる。

「そっちの魔法使いさんも。ちゃんと二人を守るんだよ」

 カトレアの後ろに立っていたバーベインは一瞬驚いたが、はっきりと頷いた。

 

+   +   +

 

 いつも時間どおりに来るはずの子どもが来ないことを心配した近くの牧場主は、彼の家を訪ねた。森を少し入ったところにあるその家には普段近付く者はほとんどない。だが、今日は妙な胸騒ぎがしていた。

 そこで見た光景に、牧場主は驚いた。二階建ての木造の家には黒く焼け焦げた跡があり、家の前に三人の子どもが座りこんでいる。家の中もひどく荒されていた。

 子ども達はひどくぼんやりしており、何が起きたのか全く覚えていなかった。

 その話はあっという間に町中に広がった。

 ローは牧場主の養子になることを決め、ウルとシランはそれぞれ町の人に引き取られた。いい人達のようで、それなりに幸せに暮らしていけそうだった。

「これで、よかったのか」

「ええ」

 バーベインは元主の命を代償に、人々からこの魔法使い狩りに関わる記憶を消した。町を逃れた魔法使い達も徐々に戻ってきている。何事もなかったかのように。

 ただ、もうあの町に薬売りの魔女は現れない。

 バーベインと共に、カトレアは家を出た。

「あんな思いを抱いておいて、あの子達の傍になんてもう居られないわ」

 あんな男なんて居なくなってしまえばいいのだと。カトレアはそう強く願った。そんな思いを持ってこれから子ども達を育てていくことなんて出来そうになかった。

 それに、本物の魔女であることを知られた。子ども達がいくら黙っていても、いつかは広まってしまうかもしれない。そうすれば、あの男のように魔女の力を求める者がやってくるだろう。ならば、早いうち姿を消すほうがいい。

 ウルとシランの記憶には軽く封をかけた。もう少し成長して受け入れられるようになったら、徐々にとけるようにしてある。

 それでも、一番年下のリアだけは置いていけなかった。

 リアはわかっているのかいないのか、バーベインに抱きかかえられて満足そうにしている。その腕には老婆にもらった餞別の飴の入った瓶を抱きしめていた。

「カトレアは、いくつなんだ」

「何よ。女性に年を訊くなんて失礼じゃない? ――そうね、バーベインさんよりは少し年上よ」

 魔女の素質を持って生まれた子どもは、人間よりも少し老化の速度が遅い。見た目通りの年齢だとは限らない。

「さて、これからどうしようかしら」

 この道はどこへ続いているのかわからない。ただ、どこかの町へは続いているのだろう。いくつか無事だった薬を持っているので、売ってもいい。

「いつか」

 ぽつりとバーベインは呟いた。

「いつか、あの町に戻ろう」

「そうね」

 何年後になるかはわからない。知っている人がまだ居るとも限らない。それでもきっとあの場所に帰っていくような、そんな予感が胸の内に静かに灯っていた。

 

 

 ローは荒れ果てた家の中で胸ポケットから懐中時計を取り出した。蓋が大きくへこんでいる。銃弾に打たれた時、この懐中時計が彼を守ったのだ。

「ったく、むかつくやつだ」

 呟くと、ポケットにしまいなおした。

 彼が気付いたのは全てが終わった後だった。男はおらず、変な泥人形は土の山になっていた。

ウルとシランとは違い、ローは記憶に封をすることを拒んだ。誰か一人くらい覚えていないと、もう二度と会えないのではないかと不安だったから。

 ローの過ごした家が取り壊されることはないが、住む者がいないこの家はそのうちに朽ち果ててしまうだろう。

 カトレアの書き残した薬のレシピだけは、大切にしまいこんである。いつか記憶を取り戻したウルかシランが必要とするかもしれない。

「……また、来いよな。絶対だぞ」

 そう言うと、ローは住み慣れた家をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緋色狂詩曲            遥佳(ようか)

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