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終わり語り

「これで全て終わりだな」
 女はまるで歌うかのように呟いた。
 金属の触れ合う音。怒号。悲鳴。何かの破壊される轟音。祈り。火薬の匂いが煙と共に上ってくる。
 長く栄えてきたこの国も、今日で終わる。心残りなのは、この目で終わりを見られない事だけだ。
 悠々と、女は目を閉じて喧騒に耳を傾けた。あれが子守唄だとは、さすがに無粋すぎる。

 ――女王が無実の者たちを次々と処刑している。

 その話はあっという間に国中に広がり、ついには女王を引き摺り下ろすべく革新派達が手を組み、城まで攻め込むに至った。それが全て仕組まれていた事を彼らは知らない。
 ゆっくりと、閉じていたまぶたを押し上げた。王座から見下ろす先。つい先ほどまで、この国の奥底で手を引いていた老獪達が、物言わぬ肉塊となって転がっている。女王はその手に似合わない、馴染んだ剣を無造作に投げ捨てた。もうこれは必要ない。
 過去の為政者達が強大な力を求め続けた結果、国は大きくなり過ぎ、内部は熟れ過ぎてもはや腐臭をあげていた。全てを巻き添えにして腐り落ちてしまう前に、傷んだ部分を削らなくてはならない。いずれは誰かが成さなければならなかった事。愛国心がなかったわけではないが、自ら落としいれた末期に、特にこれといった感傷も湧いてこなかった。
 あらかたの傷みは削り取った。後は最も大きな腐敗を刈り取るだけだ。
 引き継がれる王族の血。この世に残された血族は、今この場に座す彼女ただ一人だ。
 女王として即位するときに、後の争いをなくすためだと言い張り、血族全てを消し去った。彼女が死ねば、この呪われた血を継ぐ者は誰もいなくなる。そう、この国は血の呪いから解放されるのだ。
 この国の王達は代々政よりも戦を重んじたために、国の事は全て時の為政者達に任せていた。それをいい事に彼らは私欲を肥やし、王族と同じように代を重ねながら国を腐敗させていった。
 彼女が腐りきったこの国の内部の現状を知ったのは、十四の頃だった。戦場で先陣をきり、勝つ事だけを教えられてきた彼女が受けた衝撃はすさまじかった。彼らにとって、王族は駒にすぎなかったのだ。
 そして何よりも、その事実を知っていてなお、政から目を逸らして戦に明け暮れる父に驚愕した。彼は今まで一体何を守り続けてきたのか。
 この国はもうだめだ。
 当時まだ少女と呼ばれる年齢であったにもかかわらず、彼女は一人決意した。この救いようのない腐敗の連鎖を終わらせようと。
 先王が先の戦で死んだのをきっかけに、当時まだ齢十七だった彼女は、戦場での功績を盾に他の者たちを押しのけて女王の座につき、独裁を始める。それまで好き放題にしていた為政者達は、政に興味を持った女王の誕生に慌てふためいた。刺客を送り込もうにも、戦いに慣れた彼女はたやすく返り討ちにしてしまい、どころか刺客を送り込んできた為政者を的確に引きずり出し、次々と自らの手で死刑に処していった。城の外で糸を手繰っていた者達も同じ末路をたどる事となった。ただし、民には彼らが無実であるという偽りの噂を流して。

 そう、全てはこの日のために――。

 怒号はどんどん近くなってきている。扉が破られるのも時間の問題だろう。兵士たちには私を捨て置いて逃げてもよいという命令を出したにもかかわらず、ねばっているらしい。
 無駄な事を。
 自嘲じみた笑いが零れ落ちそうになるのを、そっと飲み込んだ。それでは努力している彼らがあまりにもかわいそうだ。
 今この城を、彼女を守っている者達には、計画の全てを伝えてある。思惑の全てを理解してなお、彼らは最後まで彼女につき従う事を選んだ。
 まったく、どうして私なんかについてきたんだ。破滅しか選ばない事などわかっていただろうに。
「――姫様」
 まるで思考を呼んだかのような間合いで声がかけられた。唯一この場にいる事を許した青年に、ちらりと視線だけを向ける。
「その呼び方はやめろと言っただろう」
「では、どうお呼びすれば」
 そう返され、女王は返答に窮した。
 いつもならばここで女王と呼べと返すところだが、それだけの言葉が口に出来ない。例えどんな言葉を返したところで、いつもと変わらぬ問答が繰り広げられるだけの事。だのに、軽口のような言葉がのどの奥でつかえて音にならない。
 そんな彼女の状態をわかっているのだろう。
「何と言われようとも、幾つになられようとも、貴方は私の姫様です。他の呼び方など知りません」
 いつも通り欠片も表情を変えないまま、いつも通りの言葉を返してくる。その落ち着き振りが気に入らなくて、王座に座したまま。女王は傍に控える己の騎士を見上げた。相変わらず、感情の読めない眼差し。
「終わりですね、姫様」
 緩やかに話を変えられ、女王は言葉を飲み込んだ。そうだ、感傷などくだらない。
「あぁ。全てを、終わらせる」
 そのためには、崇めるべき偶像が残っていてはならない。この首が掲げられて初めて、革命は成功する。うっかり生き残ってしまっては、今までの苦労が水の泡というものだ。
 さぁ来い。この首を取るのは一体誰だ?
 どうせならば、後世に語り継がれるほど派手な方がいい。精々悪役を演じようではないか。
「最後の最後までつき合わせて悪かったな」
「はい。まったくです」
 気さくな物言いが、共にいた時間の長さを物語る。彼女にこんな口をきけるのは、この世界でただ一人だ。
 幾度、戦場を共に駆けただろうか。幾度、命を危険にさらし、この国を守ってきただろうか。
 いくら考えようとも詮ない事だ。そんな事実も、国の内部に向けられた時点で、民からすれば裏切りでしかない。打ち立てた功績が大きければ大きいほど、与える脅威も大きい。
「姫様」
「何だ」
 騎士は跪いて己が主の手を取ると、その手のひらにそっと口付けた。普段の無骨さからは想像も出来ないほどに滑らかで、優しい仕草。
 そういえば、彼の方から触れてくるのはこれが初めてだ。
 どこかぼんやりとした頭で考える。普段は命令したところで、まるで預かり物の宝石に対するかのごとく触ろうともしないくせに。
 ぬくもりは僅かな余韻も残さずに消える。その手を握り返しそうになるのを必死にこらえた。
 視線が絡み合う。騎士の黒い眼の中に、女王は己の姿を見つけた。

「貴方の、全てを」

 たった一言。
 囁かれた言葉に女王は目を丸くし、それから高らかに笑った。揺らぎかけていた心がぴたりと決まる。
 あぁどうしてお前はいつも、いつも……。
 ひとしきり笑い、かすかに潤んだ目で騎士を見下ろす。
「あぁ、くれてやる」
 そう、泣き出しそうに破顔した。


 扉が開く。雪崩れ込んできた革命軍は、広がる光景に息を呑んだ。
 床には元老達が倒れ伏し、その中央の王座には、胸を真っ赤に染め事切れた女王が横たわる。
 返り血にぬれた女王の騎士は振り返り、裏切りの汚名の戴冠と共に高らかに叫んだ。

「さぁ狂乱の女王は死んだ!! これからはそなたらの時代だ!!」

 雄叫びが上がる。狂喜の叫びが城を震わさんばかりに響き渡った。
 今この瞬間、一つの国が終わりを告げる。


 勝利の知らせは瞬く間に国中に広がった。
 彼女は狂乱の女王の汚名を被り、歴史に刻まれる事となる。敗者が悪を被るのは世の道理。そして、その狂乱の女王を討ち取った騎士は英雄として称えられ、後の世界に語り継がれた。
 しかし、騎士は人々が勝利に酔いしれる間にその姿を消してしまった。以来、その消息は知れない。
 女王の遺体は、人々が勝利に酔いしれるうちに発生した火事により、城ごと燃え尽きてしまった。玉座の近くで燃え出したらしく、出火当時遺体の傍に居合わせた者もいたのだが、事切れた彼女をわざわざ助けようとする者などなく、あっという間に焔に呑まれてしまったという。女王に恨みを持つ者が火を放ったのだという噂が流れたが、それを真実と裏付ける証拠は見つからず、うやむやのうちに結果として真相は闇に葬られる事となった。
 新たな王国は良王に恵まれ、それから数百年にわたり、争いを知らぬ平和な時代が続いたという。



 彼らは知らない。平和のために犠牲になった者達の事を。闇に葬り去られた真実を。
しかし、それでいいのだ。彼女が望んだとおり、今、世界は正しく回っているのだから。



 小高い丘の上。そうと知らなければ遺体が埋められているとはとは思えないようなその場所で、一人の男がそっと佇んでいた。
 それは、騒乱のうちに姿を消した元騎士だった。
 名も刻まれぬ墓石をそっと指先で撫でる。刻むべき名はどうしても見つけられなかった。
 もしあの時、彼女が手を握り返したならば、ただの人である事を選んだならば、逃げましょうと言うつもりだった。その程度で揺らぐくらいの覚悟ならば、捨ててしまえばいいと思った。本当は、生きたいと、そう願って欲しかった。そうすれば、何が何でも、それこそ世界の果てへでも連れて逃がしただろうに。
 しかし、彼女は逃げようとしなかった。最後の最後まで、女王でいる事を望んだ。ならば、彼女の望みを遂行するのが騎士の役目であり、誇りだ。
 だから、彼は己の手で終わらせた。喜劇を、茶番劇を。それに、他の者に彼女の体を蹂躙させることなど、赦せなかった。
 城に火を放ったのも彼の仕業だ。火事騒ぎのうちに女王の遺体を運び出し、城から遠く離れたこの場所に埋めた。せめて安らかな眠りを、と願って。
 人生の全てをかけたところで、主に対する裏切りは償えるような罪ではない。ただ、憶えていたかっただけだ。彼女が、決して狂乱の女王などではなかった事を。その人生の全てを。

 そうだ、私が知っていればいい。強くて不器用で誰よりも国を愛した、一人の少女の事を――。





手のひらへの口付け―-[懇願]

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