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氷花葬送

「あぁ、これはまた派手にやったね」

 頭の天辺から足の先まで真っ黒なローブに覆われた人間はあきれたように呟いた。見下ろす先、毛の厚い敷物の上には、いくつもの死体が転がっている。

「だって、僕の世界を壊そうとするから」

 傍らで頭を抱える男に、あきれた視線を向ける。とうに三十路は越えているはずだが、まるで子どものようだ。

「まぁ別におれはこまらねぇからいいけど。また補充すればいいんだし」

 それに、ここには素材もそろっている。

「なぁ、コルニクス。僕のしていることは間違っているか?」

 名前を呼ばれ、コルニクスは振り返った。柔らかな笑みを浮かべてみせる。

「間違っているものか。ご主人様のやっていることは正しいよ」

 甘い言葉に男は表情を緩めた。直ぐさま男から視線をそらすと、コルニクスは階段を下りて死体に近寄る。

「こいつはまだ使える。こっちはだめだな」

 一つ一つ死体を確認しては、額に印を付けていく。

「満足そうな顔してるね。むかつくなぁ」

 ここにある死体のほとんどを作り上げた青年を見下ろした。確実に死んでいるが、それほど大きな損傷はない。

 全ての死体を選別し終えたコルニクスは、生き残った兵士に印を付けた死体を一カ所に集めさせた。長い袖をまくると、にぶく光る金属に覆われた手の甲があらわになる。精緻な細工を施された金属の中央には、深い紫色の魔法石があしらわれていた。

 魔法石は魔法を使う時に、使用者の負担を緩和する役割を持っている。

 手を伸ばし、死体の上に手のひらをかざす。歌うように、コルニクスは言葉を唱えた。

 それは、死者をよみがえらせる禁断の魔法。

 死者達はゆっくりと立ち上がる。その中にはあの青年の姿もあった。男は驚いてコルニクスを見上げる。

「その男は」

「守るために使うんだよ。これも全てご主人様の世界のためだ」

 全てを口にする前にコルニクスは男を黙らせた。男はほっとしたように眉尻を下げる。

「あなた」

 何十にも重ねてつるされた薄い布をかき分けて細い腕が伸ばされた。何かを探すようにさまようそれを優しく掴み、男は愛おしげに目を細める。

「あぁ、愛しいひと。大丈夫。きみのことは必ず守るよ」

 そう言って、男は薄い手のひらに口付けた。

 

+   +   +

 

 冷たい空気が肺になだれ込んでくる。痛くて痛くてたまらなくて、それでもなお走り続けた。

 

 

 雪が降っている。

 白い結晶は空から音もなく舞い落ちては、溶けることなく世界を塗りつぶしていく。どさり、と木の枝にのしかかっていた雪が滑りおちた。また静寂が訪れる。

 地面は完全に雪におおわれており、周囲に立つ木々も枝葉をたゆませながらどうにか雪を支えている。このあたりには獣もいないのか、雪は白いままだ。ただ、一つの足跡と赤い滴りだけが白い世界を乱している。

 はらりと落ちた立花が白い肌に触れた。その瞬間、固体は液体へと化す。白い肌の少女は息をつめて一点を見据えていた。

 短く切られた真っ黒な髪。長い前髪が、青味がかった灰色の双眸にかかっている。真っ黒なまつげが白い肌に影を落とす。陶器じみた白いおもては黒ずんだ血に汚れていた。人形を思わせる整った顔立ちは少年めいている。まとう白い外套もまだらに赤く染まっていた。

「走れ、フィロ――」

 耳の奥に名を呼ぶ声が残っているような気がして、フィロは手袋をはめた手で耳を押さえる。最後に見たのは、見慣れた背中。赤い炎が身体を取り巻いていた。走って、走って、走って、ここまでたどり着いた。

 止まれと命令してくれる人はもういない。きっと世界の果てまででも走り続けなければならないのに。一度立ち止まると、動けなくなった。

 もう少し行けばこの森から出られる。さらに行けば、人里もある。しかし、もういいのではないかという思いがフィロをその場へと留まらせる。

 フィロを拾ってくれた人。育ててくれた人。この世界に存在する理由なんて、もうないのではないか。

 いやぁ、大変だった。そう言いながらあの人が帰ってくる想像をする。でもそんなことはあり得ないのは多分フィロが一番よくわかっている。

 一緒に戦いたかった。一緒に戦って、一緒に死にたかった。

 静かに呼吸をすると、冷たい空気とともに死のにおいが肺を満たした。フィロの足元には彼女の仲間であったものの死体が寝かされている。二人で逃げ出したはいいが途中で追っ手に追いつかれ、戦った。追っ手が誰一人動かなくなるまで。フィロは生き残り、彼は死んだ。

 ざくり、と雪を踏む音が聞こえる。その音はゆっくりと、確実に近づいてくる。

雪が落ちた。フィロは動かないフィロの目が男の姿をとらえた。手にした長い杖で雪面を突きながら、真っ直ぐにフィロのいる方へと向かってくる。

 ざくり。ざくり。

フィロはしなやかな筋肉に力をこめる。その気配はまるで獣だ。

 しかし、フィロは動かない。その場に根でも生えているかのように。ただただ男を見据える。

 男はフィロから五歩ほど離れた位置で立ち止まった。足元に寝かされた死体を見つめ、それからフィロに目を移し、首をかしげる。

 男の背に広がるゆるく癖のある髪が揺れた。限りなく白に近い金の髪。編みこまれた色付きの硝子球が光を弾く。眠たそうにも見える蜜色の双眸。やけに大きな瞳孔。フィロが人形ならば、男は彫刻のようだ。

 男が口を開く。静かな世界の中で、男の低い声はよく響いた。

「死んでいるのだね」

「そうよ」

フィロは淡々と答える。男は一歩フィロに近づいた。

 大きな男だ。フィロは男を見上げた。彼女と並ぶと頭二つ分ほど差がある。それでも、フィロは簡単に殺してしまえそうだと思った。戦いに身を置く者ではない。

「――どう送る?」

 唐突な男の問いに、フィロは首をかしげた。この男は何を言っているのだろう。

「死者をどう送る? 死者は、どこへ行く」

 男の言葉を理解し、フィロは少しだけ呼吸を乱した。張り詰めた緊張が一気に途切れる。

「……骨肉は、空に。血は、大地に。魂は、心に」

「そうか、わかった。きみをそこから動けるようにしよう」

 男はそう言うと、手にしていた杖で雪に覆われた地面を突いた。口を開き、何事かを紡ぐ。こぼれ落ちたのは、言葉とも歌とも判じがたい音。フィロの耳にはどこか心地よく聞こえた。もうほとんど使われなくなった、古い言葉だ。

男の髪に編みこまれている硝子玉のいくつかが光を帯びた。男の髪が風にあおられるように揺れる。

 ばさり、ばさり。

 白い雪の上に影が落ちる。フィロは空を仰いだ。くるりくるりと猛禽が円を描いて飛んでいる。死食鳥だ。ひゅぅ、と風を切る音がした。勢いよく滑り落ちてくる。仲間の骸に鳥が群がる。猛禽の鋭い爪が肉を裂き、くちばしが肉をついばむ。雪が溶け、血が大地にしみこんでいく。乾いた眼差しで、少女はじっとその様を見た。

 ばさり。ばさり。

 猛禽が飛び立つと、骨が残された。

 男が再び杖を突く。

 白い骨は一気に風化し、風にながれた。フィロはまばたき一つせずその光景を眺めている。

 男が杖をあげ、フィロの胸に突きつけた。一瞬石の色が変わる。

 フィロは一度まばたいて、それから己の胸に手を当てた。

「魂は、心に」

 呪縛が解けたように、フィロは口元をわずかに緩めた。溶けた雪だけが、そこに骸があったことを示している。

フィロは真っ直ぐに男を見上げた。

「あなたは、何?」

「私は葬送士。死者をあるべき場所へ送る者」

 朗々と、男は答える。首をかしげてから、フィロは質問の仕方を間違えたことに気がついた。

「私はフィロ。あなたの名は?」

「そうだね。いくつかあるけれど。……ナーダ、とでも呼ぶといい」

 不思議な口調だ。ナーダはフィロに向けてわずかに笑んだ。急に人間じみて見え、フィロはまばたいた。それから、言おうと思った言葉を思い出す。

「ありがとう、ナーダ」

「何だい、突然」

「私の仲間を送ってくれた」

「私は役目を果たしたまで。きみにお礼を言われることはない」

「でも、私は言いたかったの」

「……こうして感謝されるのは、初めてかもしれない」

 ナーダはどういう顔をしていいのかわからなさそうに眉をひそめる。

 不思議なひとだ、とフィロは思った。

「おや、死だ」

 ナーダはぽつりとつぶやいた。同時にフィロが鋭い視線を走らせる。十メートルほど離れた場所でじっと息をひそめているものがある。生きているものとは違う。気配というよりも、においだ。死の、におい。

 フィロは飽きるほど口にした古い言葉をとなえた。独特の抑揚。魔法だ。首からさげた瞳と同じ色の魔法石がちかりと光を放つ。

フィロの左右の手に光が収束する。刃渡り二十センチメートルほどの片刃剣がそれぞれの手の中に現れた。氷でできた片刃剣は薄く研ぎ澄まされており、反対側が透けて見える。それでいて、肌の熱で溶けることはない。

 フィロは素早く気配の元へ走った。先程殺したはずの追っ手だ。その手には剣が握られている。中途半端に構えられた剣を右手の片刃剣で跳ね上げ、追っ手の腹を左の片刃剣で撫でた。ざくり、と肉が裂け、血がこぼれ落ちる。しかし追っ手は痛みを感じていないかのように再び剣を構え直した。

 切るだけでは止まらない。ならば。

 身を沈め、追っ手の足を払う。仰向けに転んだ。

フィロは追っ手の肩に全体重をかけて刃を突きたてながら、古い言葉をとなえる。光が収束し、追っ手の四肢に大地とつなぐ氷の枷が打ち込まれた。氷は地面深くに根を張っている。追っ手は身をよじったが、立ち上がることはできずにもがいた。

 これは死者だ。

 フィロの中に怒りがわいた。

 死者を操っているのだ。ゆがんだ世界をフィロが、誰かが壊してしまわないように。死のない国へフィロごと取り込もうとしている。

 フィロの下で死者は笑う。無理に口を動かしているように、不自然な表情。

「なぁ、あんたも一緒に死のうよ。そうすれば、仲間とずっと一緒に生きていけるんだよ。あんたの死んだ仲間も、よみがえる」

 誘惑するように。死者はフィロの顔をのぞき込んだ。いつの間にか、死者の額に紫色の文様が浮かび上がっている。

「永遠に一緒だ。それって素敵じゃないか」

「よみがえる必要など、ない」

 死んだ者はよみがえらない。それがこの世界の理。

「なら、何でこいつは生き返ったんだ? 世界の理からはずれてるじゃないか」

「それは……」

 フィロの中に迷いが生まれた。

「こいつにも、家族がいる。大切な人がいる。死んだって聞いたら悲しむだろうな。だったら、生きてる方がいいじゃないか。たとえ一度死んでいたとしても、生きている方が嬉しいじゃないか。それとも、あんたは奪うのか? この男の大切な人から、この男を奪うのか?」

 ぐらり、と世界を揺さぶられる。

 もう、大切なものはない。なのに、どうしてこんなに必死になっているのだろう。殺されてしまってもいいのではないか。もう一度、あの人と一緒にいられるのならば――。

「困った人だ。そんなことが赦されるはずがないだろう。誘惑しないでもらえるかな」

 フィロはナーダを見上げ、息を詰めた。いつの間にか、ナーダはフィロの真正面に立っている。

 感情の抜け落ちた、彫刻のような相貌。口元からは笑みが消え、ただ無表情を浮かべている。

「辿るべき道へ戻るんだ」

 ナーダが古い言葉を紡ぐ。髪に編み込まれた硝子玉が光る。

 ぼう、と死者の体に火が点いた。四肢を押さえていた氷が溶け、水蒸気になる。なのに、死者の身体に触れているフィロは何の熱も感じない。

死者の体はあっという間に焼けてしまった。骨のひとかけらも残さずに。灰は風に流れ世界へと散る。

 目を閉じて、祈るようにフィロは胸に手を当てた。

 目を開けて、再びナーダを見上げる。物憂げに、それでいて何も考えていないようにも見える面差しで目を伏せる。先程よりは、少しだけ人間らしい。

 この人は一体何なのだろう、とフィロは考える。葬送士、というのは彼の仕事であって本質ではない。それとも、葬送士であることがナーダの本質なのだろうか。

死者を焼いたのは魔法だ。髪の硝子玉はきっと魔石だ。

魔力のこもった宝石は魔石と呼ばれている。魔石は一つにつき一種類の魔法を使うことができた。それぞれに相性があり、使用できる魔石に巡り会えることはなかなかない。この男はその何種類もある魔石を使いこなすというのだろうか。そんな話は聞いたことがない。

ナーダは座り込むフィロに手をさしのべた。

「大丈夫かい?」

「平気」

 小さく首をかしげてから、フィロはナーダの手に掴まった。手袋をはめた手はフィロのものよりも二回りほど大きい。

 ふと、最後の言葉を思い出した。

「――走れ、フィロ。お前はもう自由だ」

 自由、という言葉を繰り返す。それはとても不思議な響きだ。

 そう。逃げることではなく、自由になることが最後の命令。ならば私は。

「取り返す」

 奪われた仲間。きっと、さっきフィロを襲ってきた屍人形と同じようにされているのだ。なら、奪い返さなければ。そして、きちんと葬らなければ。

 ナーダの手を離す。

「ナーダ」

 男の名前を呼んでみる。ナーダはどうした、とでもいうように首をかしげた。

「あなたは、私の他の仲間も送ってくれる?」

「全ての命を送ることが私の役目だからね」

「一緒に来て欲しい」

 真っ直ぐな眼差し。真っ直ぐすぎる心。

 来た方向へと歩き出そうとするフィロを、ナーダは呼び止めた。

「これからどこへ?」

「仲間の死体を取り返しに」

「それはわかっている。真っ直ぐに向かうつもりかい?」

「だって、早く送ってあげないと」

 じれったそうなフィロに、ナーダは目を細めた。

「そのまま行くつもりかい?」

「だめ?」

「そうだね。よくはない」

 ナーダはフィロの手をつかんだ。そのまま歩き出す。その思いもよらぬ力強さにフィロは目を見開いた。

「一度、隣の町へ行こう。それからでも遅くはない」

 まるで、何もかもを見通しているかのような。その力強さに、フィロは何となく従ってみることにした。

「どうやって仲間を取り返すつもりだったんだい?」

「城に、乗り込む。そして、返してってお願いするの」

 あまりにも真っ直ぐな答え。

「きみは甘いね」

 ナーダの言葉はどこか面白そうに聞こえた。

「少なくとも、このままの格好ではだめだね」

「だめなの?」

「目立ってしまう」

 少女の姿はすでに知られている。そのまま姿を現わせば、格好の標的になること間違いなしだ。

 二人はただただ歩き続けた。進むにつれて、段々と雪が深くなっていく。

「きみはこのあたりの生まれではないね」

「どうして」

「このあたりは、火葬が多いから」

 葬送は信仰と関係する。この土地では確かに火葬を主とする信仰が根強い。鳥葬はこの辺りの地方ではほとんど見られないものだ。

「私は拾われて、命を与えられた。どこで生まれたのかもわからない。ただ、お頭の信じるものを信じるだけ」

 前だけを見て、フィロは答える。ナーダは面白そうにフィロを眺めた。

「死のにおいがきみを取り巻いている。なのに、きみは呼ばれていない。きみがどうして死なないのか、不思議でならないよ」

「そう。それはきっと、私が殺したものと救えなかったものの執念ね」

 淡々と、フィロは返す。

「フィロは私がこわくないのかい」

「こわくないわ。だって、死はいつだって隣にあるもの。あなたは死と同じにおいがする」

「そうだね。私は死のようなものだ。みんな、私がくると悲しい顔をする」

 葬送士が現れるのは、死を前にした時だ。

 死を嘆き悲しむ。魂が縛られ、動けなくなる。

「きみは悲しくないのか」

「悲しいわ。でも、送られた魂は幸せなのでしょう。だから、悲しまないわ」

 少女の眼差しは強い決意に彩られている。ナーダは緩やかに笑んだ。

 

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「ちっ。厄介なやつが出てきやがった」

 コルニクスは舌打ちした。波紋に乱され、何も映らなくなった水鏡を苛立たしげにひっくり返す。金属製のそれは高い音を立てて床を転がった。べしゃりと水が飛び散る。

 逃げた少女の動向を見張るだけのつもりが、思わぬ戦闘になってしまった。

 少女の行動が読めない。何よりも、葬送士にかぎつけられたのは痛い。

 コルニクスは荒くため息をついた。

「この国も潮時か……」

 

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 とあるお城にとても仲のいい夫婦が住んでいました。ですが、ある時奥様が亡くなってしまったのです。奥様を愛していた領主様は、それはそれは嘆き悲しみました。その嘆きが神様にとどいたのか、葬儀の準備をしている間に奥様は生き返ったのです。領主様が心の底から喜んだことは言わなくてもわかるでしょう。それ以来、二人はまた仲睦まじく暮らしているのだといいます。そして、その国からは死がなくなり、皆幸せに暮らしている、と。

 

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 死のない国があるという。本当かどうか調べてこい。

 それが、フィロ達に与えられた仕事だった。もし本当に死のない国があるのならば、死者をよみがえらせることができるのならば。不死者の軍隊を作ることも可能なのではないか。

 打算と欲にまみれた命令。

 情報を集めた結果、どうやら本当に死者をよみがえらせることができるということがわかった。実際に、領主に頼んで生き返らせてもらった、という話はいくつも耳にすることができた。しかし、どうやって生き返らせているのかまで知る者はなく、また実際に生き返ったという者に会うことも叶わなかった。

 結局、三人は城に潜り込むことにした。たどり着いたのは、一番美しい部屋。最奥には大きなステンドグラスがある。描かれている女性は、生き返ったという奥様だろうか。

「誰かいるの?」

 か細い声が聞こえたのは、この部屋には不似合いな、大きな寝台の中。何重にも薄布が張り巡らされており、中はよく見えない。

 内側から、布が掻き分けられる。布の幕に切れ目ができ、中の人物がうっすらと見えた。

「っ」

 思わず息を詰める。

「あなた達、私を殺しに来てくれたの?」

 そう言って、女は悲しそうに笑った。

 

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 城に続く道を歩く者がいる。この辺りでは見かけない顔だ。どこからやってきたのだろうか。

ずるり、ずるりと大きな長方形のものを引きずっている。それは、氷で作られた棺だ。にじむように透ける棺の中には今摘んだばかりに見える花が敷き詰められており、一人の少女が寝かされている。

 固く閉じられた双眸。色のない唇。腰までとどく黒髪が花の上に広がっている。彼女のまとう純白のドレスは死装束だ。

 まるで人形のような少女の骸。人々は痛ましさに目をそらす。

「そういえば、二つ向こうの国では氷の棺を海へ流すらしいわ」

「まぁ、そんな遠いところから?」

「親子かしら。まだ若いのにかわいそう」

 人々は思い思いに囁き合う。

 城へと続く道は森へと入りなお続く。やっとの思いで男は城の前にたどり着いた。

 城の門が開かれる。

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げ、棺を引いていた男はそっと笑った。

 

 

 城の中は火が焚かれており温かい。しかし、氷の棺は溶ける様子がない。まるで硝子のように汗一つかかない。

 部屋の奥は数段高くなっており、そこに領主が立っていた。その後ろにあるのは、天蓋付きの寝台だろうか。さらに後方にはステンドグラスがあり、外からの光が部屋を色とりどりに染めている。部屋の壁にはこの屋敷の主と、その奥方の肖像画が飾られており、等間隔で黒い木の箱がいくつも立てかけられていた。

「この国では死者をよみがえらせることができると聞いた。どうか、私の娘をよみがえらせてください!」

 膝をつき、男は切に訴える。フードから垣間見える顔はまだ若い。

 その真摯さに、可哀想になった領主は頷いた。

「僕にも大切な者を失う痛みはよくわかる。いいだろう」

「ありがとうございます」

 深々と男は頭を下げた。今にも涙を流さんばかりだ。

「――だめだよ、ご主人様。そいつを生き返らせることはできない」

 寝台の後ろから、コルニクスが顔を出した。面倒くさげに頭をかきながら、ナーダを見下ろす。

「どうしてだ、コルニクス。お前ならどんなものでも生き返らせると言っていたではないか」

「だってそいつ、死んでないから」

 コルニクスの言葉に領主は目を見開いた。まさか、と言いたげに少女の骸を見下ろす。

 人形は、ゆっくりと目を開いた。灰色の双眸は氷と同じくどこまでも澄んでいる。身体を起こすと長い黒髪は花の上に残された。短い黒髪の少女は棺桶から出ると己の足で立つ。

「お前は……!」

 氷の棺はフィロの魔法で作り出したものだ。魔法で作られたものは、使用者の指定したものには影響を及ぼさない。

「な、何をしに来た」

「仲間の死体を受け取りに来た。それだけ」

「それだけ?」

「えぇ。それだけよ。この国のことはどこにももらさない。誓うわ。お願い、仲間の死体を返して。送ってあげたいの」

 フィロの真っ直ぐな言葉に領主は心を揺さぶられたようだった。迷うように、視線をさまよわせる。

 この国に手を出さないのならば、返してもよいのではないだろうか。この娘の強さは先程の追跡でよくわかっている。たった一人生き残ったのだ。返さないと言えば、きっとまた沢山殺すのだろう。躊躇なく。

「だめだよ、ご主人様。その小娘はよくても、後ろの男はそれだけで引くつもりはないんだから」

 寝台の後ろから、真っ黒なローブをまとった人間が現れた。コルニクスは真っ直ぐにナーダを見下ろす。

「何だ、お前は」

「私は葬送士。死を安らかに送る者」

 まるで歌うように。ナーダは優雅に一礼した。

「勝手に魂を縛ってもらっては困る。世界のバランスが崩れてしまう。世界の王が怒っている」

 ナーダはただ穏やかに見上げる。

その横顔にフィロは冷たいものを感じた。あの時と同じだ。感じたのは純然なる死のにおい。沸きあがってきたのは恐怖。

すっと、ナーダが視線を動かした。フィロと目を合わせる。一瞬前とは全く違う、優しい色。

「すまない、きみを利用するようなまねをして」

「いいえ。気にしないわ」

 少しだけ安堵して、フィロは視線を戻した。利用されているとしてもいい。あの人を送ることさえできれば、フィロはそれで満足だ。

「っ! 何も奪わせはしない! 何とかしろ、コルニクス!」

「えぇ、仰せのままに、ご主人様」

 壁の黒い箱が開き、そこから死者が現れた。額に紫色の文様が浮かび上がっている。死者が二人を取り囲んだ。

 死者は生きているが、生きているわけではない。多くの場合、生き返ってもまともな精神を持っていない。だから、町の人々は隠した。ただ生きているだけの屍を人に見せられなかったのだ。

 最後に開いた一つの中から出てきた人物に、フィロは目を大きく見開いた。

 青年はゆっくりと目を開けた。不思議そうに、こきりと首を鳴らす。それから、フィロに気がついてにやりと笑った。

「よう、フィロ。生き残れたみたいだな」

 青年が名を呼ぶ。頷いて、フィロは笑った。怒りと喜びがない交ぜになって、フィロを高ぶらせる。

「あいつはだめだったか。……って、俺も死んだんだよな。なさけねー」

 苦く笑いながら自分の身体を確認するように、青年は手足を動かした。

「……なぁ、フィロ。そのまま逃げちまってよかったんだぜ」

「あなたを送らないと。それが、私の選んだ自由」

「そっか」

 嬉しそうに、悲しそうに、青年は呟くと、腰に下げた片刃剣を抜いた。フィロが氷の片刃剣を作る時に参考にしたものだ。

「お前なら、俺を殺せるよな?」

「もちろん、そのつもり」

 フィロは純白のドレスを脱ぎ捨てる。

 しかし、死者は彼だけではない。

 フィロが長めの旋律を唱える。透明な氷の檻がナーダをとらえた。厚い氷は刃をも通さない。

「ナーダ。少しだけ待って。そこにいて」

「はい」

 今度は耳慣れた旋律。フィロの手の中に氷の片刃剣が現れる。

 青年の目から光が消えた。炎の玉が青年を囲む。彼の魔法だ。

 そして二人は戦った。遠慮も、容赦もなく。他の死者達が入り込む隙はない。うかつに飛び込めば、あっという間に壊されてしまうだろう。

 フィロは一度も青年に勝ったことはない。それでも、やらなければならなかった。いくつもの傷が刻まれる。青年はいくら傷つけても痛みを感じないが、フィロは違う。傷はどんどん蓄積されていく。

 フィロの額を汗が滑り落ちる。

 とん、と青年の背が壁に触れた。どうにか部屋の隅に追い詰めることに成功したフィロは、氷の片刃剣を作り出せる限り宙に浮かべた。その切っ先全てを青年に向ける。それはまるで氷の翼のようだ。

 青年も直ぐさま炎の玉を呼び出すが、数が追いつかなかった。一斉に、氷の刃が降り注ぐ。あるものは炎の玉に溶かされ、あるものは炎の玉を貫いた。壁に、青年に刃が突き立つ。青年を縫い止めた。水と蒸気を厭いもせず駆け寄ると、フィロは青年の首に刃を振り下ろす。

「ついに、負けちまったな」

 そう言って、青年は笑った。胸が締め付けられる。一度だけ、フィロは強く目を閉じた。覚悟を決めるように。

「お願い、ナーダ」

「えぇ」

 たん、とナーダが杖で地面を突いた。

「骨肉は空に。血は大地に。魂は心に」

死食鳥が羽ばたく。ただの肉片となった死体に、どこからか入り込んできた猛禽が群がる。一瞬にして骨に変わり、骨を風がさらう。血液は大地を求めて床を流れていった。

全てを見守っていたフィロは、残された魔法石を拾い上げた。主のいなくなった魔法石は、何の力も持たない硝子玉に変わる。

「ありがとう、ナーダ」

 ナーダを囲っていた氷が砕けた。きらり、きらりと

「肉体は灰に。灰は大地に。魂は空に」

 葬送士はつむぐ。歌うように。朗々とした声が空気を震わせる。

 ぼう、と髪に編み込まれた硝子玉が光った。

 死者達は炎に包まれ、あっという間に灰の山となる。

「死にたくない」

 一人の小さなつぶやきがフィロの耳に残った。

 嘆きの声。慟哭。城のあちらこちらから、悲しみの声がこだまする。

「ついでに、全ての人を送らせてもらったよ。数が多くて大変だった」

 何でもないことのように言うと、ナーダは一歩踏み出した。その視線の先には寝台がある。領主は守ろうとするように寝台の前に立ちふさがった。

「いやだ。奪わないで。せっかく取り返したのに。みんな喜んでいたじゃないか! どうして壊すんだ!」

 細い腕が領主の肩を叩いた。重ねられた薄布が掻き分けられ、中まで光が入り込む。

「こんないびつな世界は終わりにしましょう」

 女は笑う。ただただやさしく。

「いやだ。いかないで」

「あなたまで時を止めてはだめよ」

 領主は女の身体にすがりつく。女の顔は影になって見えないが、死者のにおいが広がった。

 ナーダが杖を突く。

 寝台から、植物が芽を出した。みるみるうちに茎を伸ばし、女の身体にまとわりつく。つぼみが膨らみ、女の身体を、花が覆い尽くす。もはや女の肉体はどこにも見えず、寝台は花畑と化した。

「ああああああ」

 領主の嘆きが空気を震わせる。

 フィロは不思議そうに一歩踏み出した。

「肉体がなくなっても、消えてしまうわけではないでしょう。だって、魂は心にあるもの」

「それはきみの法則だ。彼の法則は、また違う」

 ナーダの静かな声に、フィロは困惑した。

 フィロには嘆きがわからない。

 弔いとは、死者のためにある。死者が死後も

 送られた死者は安らかであるはずだ。なのに、どうして嘆くのか。ナーダの外套の裾を引き、男の名を呼ぶ。

「どうしてあなたは送るの?」

「それが、私の役目だから」

 ナーダは笑う。人形のように。透明で空っぽだとフィロは思う。どうしてか胸が詰まった。

「きみは面白い人間だ。さぁ、疲れただろう。少し、おやすみ」

 待って。フィロが手を伸ばすが、ナーダには届かなかった。硝子玉が光る。部屋は真っ白な光に包み込まれた。

 

 

 そうして、その場に立つ者は葬送士と死人使いだけとなった。命を巡らせるものと留めるもの。相反する二人。

「おれを殺さなくていいのか」

 コルニクスが皮肉気に笑う。

「私は人間に手出しできない。だから、きみを止めることはできない」

「だったら、あの小娘にでもやらせればいいじゃないか。またずいぶん可愛らしい護衛を見つけたもんだな」

 ナーダは顔色一つ変えない。

「私は与えられた役目を果たすだけ。きみを殺すことは私の役目ではない」

「ふぅん。じゃあ、おれは行かせてもらうぜ」

 死人使いは姿を消した。

「さて、最後の仕上げだ」

 たん、と杖で大地を突く。たん、たん。滑らかに大地を踏む。その度にまとう布がひらりと揺れる。

 杖の先で宙に円を描いた。杖の軌跡が光を放つ。

 杖の先の宝石が光った。光は細い筋となって円の中に飲み込まれていく。

 こつん、と小さく音を立てて魔石が転がった。燃えるような赤色。ナーダはそれを拾い上げると髪に取り付けた。

「大丈夫だよ。あなたの大切な娘は傷付けないから」

 

+   +   +

 

「おはよう」

 ナーダが笑う。

 フィロはナーダの膝の上で抱きかかえられていた。

 雪が舞っている。辺り一面が白い。吐き出す息も、白く凝った。

 城の中ではない。ナーダと出会った森の中だと、少女はすぐに分かった。

 ナーダの膝の上はとても温かい。なぜか安心した。

「ひどいわ」

 口に出してみるものの、それほど強く思っているわけではない。目が覚めたらナーダがいなくなっているような気がして、それがいやだったのだと気付いた。

 濡れていた服はいつの間にか乾いている。あれからどのくらいの時間が経ったのだろうか。

「あの国はどうなったの?」

「さぁ。すこし騒がしかったので、面倒になる前に抜け出してきたからね」

 あの領主はどうなったのだろう、と思いを巡らせる。

「そういえば、死人使いはどうなったの?」

「それは、逃げられてしまったよ」

 何でもないような顔をして、ナーダは嘘をつく。フィロはそれを信じたのか信じていないのか、ただそう、とだけ呟いた。

「……最後にね、お頭ともう一度話せたことは嬉しかったの」

 独り言のように呟くフィロに、ナーダは目を細めた。

「不思議なひとだ」

「不思議なのはあなたの方よ」

 おや心外な、とでも言いたげにナーダは目を見開いた。それから、そっと目を細める。

「まだ、きみを送る時ではない」

 淡々としたナーダの声に、フィロはどきりとする。

 あの人をきちんと送ったら、フィロはそのまま消えるつもりでいた。

 これからどうしようかと考えてみる。この仕事の依頼主の所へ戻るつもりはない。仕事なんてもうどうでもよかった。ただあの人がいたから。あの人の役に立ちたかったから、一緒にいただけだ。あの人のためなら何でもできた。

あの人のいない世界で何をすればいいのか、フィロにはわからない。

「ねぇ、次はどこへ行くの?」

「さて、どこへ行こう」

 ナーダは少しだけ遠い目をした。まるで死を探すかのように。

 フィロは立ち上がった。ナーダを見下ろす。

 淡い金色の髪には変わらずいくつもの硝子玉が輝いている。

 その中の一つがどこか懐かしいように思えて、フィロはまばたいた。赤色の魔石は砕けたはずだ。他にも持っていたのだろうか。

「私の仕事はどこにでもある。行き先は決まっていない旅だけれど。一緒に来るかい?」

 ナーダが手を差し出す。フィロは少しだけ悩んでから、その手を取った。

「しばらくは、もう少し暖かい場所がいいわ」

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